こんにちは、ライターの幸森です。
令和元年度の大蛇山レポート、これまでに6つの記事を配信しました。
“おおむた『大蛇山』まつり”のフィナーレは今週末に開催される花火大会ですが、その前に大蛇山レポートとしてはラストとなる記事をお届けします。
取材にご協力頂いたのは、二区・三区の通称で親しまれている二社です。
- 大牟田神社第二区祇園
- 三区八劍神社
この二区、三区というのは、戦後の大牟田における区割に由来しているらしく、古くから縁が深い二社の大蛇山。
祇園六山巡行や町内巡行の中でも競演する姿が見られます。
まつりの最終日には大正町の大通りから一本入ったところで最後の競演をし、それぞれの神社へと帰って山崩しを執り行うのが恒例。
今回はその競演からそれぞれの山崩し、そして翌日行われた目玉送りまでを追いました。
もともとは場面ごとに分けて記事を作るつもりでいたのですが、書いていくうちにひとつにした方がその熱量が届くように思えて最後までまとめることに。
少し長くなってしまいましたが、計り知れない熱量で漢たちの熱い夏が締めくくられる様をぎっしり盛り込みました。
ぜひ今年の大蛇山を振り返りながらお楽しみください。
目次
緊張感を隠せない山崩し巡行
まつり最終日、大正町での催事が盛り上がっている中、三区八劍神社を覗いてみました。
山崩し巡行への出発を控えた三区の大蛇山には、最後のかませを受けようとする大勢の人が。
すぐ隣の格納庫では最後の巡行へ向けた確認をしているのか、責任者たちが集まっています。
その中には三区囃子長・別城さんの姿もありました。
囃子の子どもたちにとって最後の見せ場となる山崩し巡行は、別城さんにとっても特別なものなのでしょう。
どことなく緊張した面持ちでピリッとした空気をまとっていました。
そんなさなかに声を掛けるのは憚られ、私は別城さんが打合せを終えるのを待つことなく大牟田神社第二区祇園へ。
こちらも山崩し巡行へ向けて入念な準備が行われている最中でした。
製作長の吉田さんは大蛇山の口元で、かませの間取り外されていた二区のシンボルとも言える“宝珠”を取り付けています。
大蛇山の前に二区祇園會の青年らが整列すると、彼らに背を向け、団長の証である黄色いハチマキを締め直す岡田さんの姿も見えました。
この瞬間、辺りの空気も一緒に引き締まったような気がして私は思わず息をのみました。
きっと岡田さんの背中を見ながら、青年たちもそれぞれに気合いを入れ直していたのではないでしょうか。
まつりのラストを彩る競演へ
そして岡田さんの口上で口火を切ると、ついに二区の山崩し巡行がスタート。
まつり一番の迫力で、三区が待つ競演の場へと大蛇山を押し進めていきます。
大勢の観衆を引き連れて競演が行われる通りへ顔を向けた大蛇山からは、並々ならぬ気迫が放たれていました。
漢たちは大蛇山を一旦鎮座させると、女神輿からの声援にも思える力いっぱいの舞を受けながら、これでもかと言わんばかりに太鼓の音を鳴り響かせます。
お囃子が止まり束の間の静寂が訪れると、二区祇園會の会長が観衆へ挨拶し祝い唄が歌われました。
再び鳴りしたお囃子と共に大蛇山の上から撒かれたのは大牟田神社第二区祇園の手拭い。
この手拭い撒き、“手拭い=手をふくもの” → “福” → “福を撒く”とされているのだとか。
一見フィナーレを盛り上げる演出とも思えるこの時間ですが、氏子の方や町内の皆さんに向けて幸せを祈願する大切な時間なのです。
手拭い撒きが始まった頃、対面側には三区の大蛇山が漢たちと共に姿を現わしました。
大量の煙と火の粉を吐いていて競演の時を待ちきれない様子です。
段々と勢いを増しながら二区の大蛇山へ近づいていきます。
囃子にとって最後の見せ場でもあるこの競演、山車の中からは気合いの入った声が。
そうしてついに向き合った二体の大蛇山はこの夏最高の熱量で、周囲は瞬く間に熱気で包まれました。
二区の吉田さんが特集インタビューで教えてくれたとおり、顎ヒゲを擦り合わせて激しく首を振ります。
夜空は無数の花火で明るく照らされ、お囃子は地響きのごとく轟き、漢たちが張り上げる声と周囲から沸き起こる歓声が混じり合い……
まるで生きた二頭の大蛇が炎を吐きながら雄叫びを共鳴させているかのようで、ご神体である大蛇山には確かに魂が吹き込まれているのだと感じた瞬間でした。
やがてそれぞれの神社へ帰るためにすれ違っていく二体の大蛇山。
最後の最後まで激しさを失せることのない漢たちは、互いに雄姿を見せつけて競い合いながらも、共に祇園祭を無事執り行えたことを称え合っていたのかもしれません。
誇りと敬意が生んだ漢気
二区・三区を含め祇園六山と総称される六つの山はそれぞれに祇園の神社を有していて、大蛇山まつりは大蛇山をご神体とした神聖な祭礼行事として執り行われます。
それゆえ彼らはいわゆる“お祭り騒ぎ”とは遠いところにいて、髪は黒く、法被を着崩すこともせず、男女ともに整った身なりで取り組むその様を「地味」と評されてしまうこともあるのだとか。
しかし、自分の山に誇りを持ちながらも他の山を認めて敬意を払い、真摯に全力で取り組む漢気あふれる姿は、そこにいた全ての観衆の心を奪ったことでしょう。
少なくとも私の目には決して「地味」には映りませんでした。
祇園六山のうちの二山である彼らはひとくくりに見られがちですが、決して“ひとつ”にすることはできない各々の神社に属する独立した山です。
でも競演中の彼らは言葉こそ交わさないものの、目を合わせたり手を掲げたりする姿がそこら中で見られました。
神社という垣根を超えた“絆”にも似たそれは、きっと大蛇山の伝承と共に今日まで受け継がれてきた漢たちの心意気なのでしょう。
このまちで大蛇山を守りゆく漢たちに欠かせないものを教えてもらった気がしました。
それぞれの山崩し
三区八劍神社
競演を終えた三区の大蛇山は、さらに熱気を増したかのように激しく太鼓を打ち鳴らしながら八劍神社へ向かって進み続けます。
大蛇山がいよいよ八劍神社へ帰着しようかというその時、神社にはその帰りを待ち受ける人々が溢れていました。
三区の女たちは観衆の最前列で大蛇山のための道を守り、境内では誘導役の漢たちが大蛇山を出迎えます。
最後まで全方向へ細やかな注意を払う漢たちの絶妙なコントロールによって、巨大な大蛇山は勢いを落とすことなく境内へ辿り着きました。
帰着後もお囃子は鳴りやまず、口元から吐き出される大量の煙幕が大蛇山の姿を隠していきます。
そして姿を隠したまま山車から首を落とすと、三区の山崩しはついにクライマックス。
お囃子が鳴り響く中、小さな子どもたちから順に牙や髭などを手にしていきます。
時には周囲にいる大人たちが手を貸して丁寧に行われる山崩しは、先ほどまでの気迫とは裏腹に母のような優しさを感じさせる温かな時間。
私の頭に三区の大蛇山が雌であることがふとよぎり『この“母のような”という解釈はあながち間違っていないのかもしれない』なんてことを思いながら、カメラのファインダー越しにその光景を眺め続けたのでした。
三区会長の挨拶で山崩し巡行の終了が告げられるとどこからともなく湧き起こる盛大な拍手。
八劍神社に安堵感が広がります。
大牟田神社第二区祇園
八劍神社前で名残惜し気に大蛇山を見つめている観衆をかき分けた私は、10分後に迫った二区のフィナーレを撮影するため大牟田神社のある銀座通りへ。
息を切らして辿り着くと、今まさに宮司によって魂を取り除かれた大蛇山が最後の雄姿を披露しているところでした。
山崩しは大蛇山に参加する子どもたちにとって、ちょっとしたご褒美のような時間なのでしょうか。
その時間を待つ子どもたちの表情からはワクワク感が伝わってきます。
最後の力を出し切り倒れ込んだかのごとく、地に降ろされた大蛇山。
怪我をしないよう危ない部品を取り除かれたら、いよいよ子どもたちが大蛇山へ飛び掛かります。
子どもたちは思い思いに大蛇山の一部を抱え、満足げです。
その身を明け渡し骨組みとなった大蛇山は、お焚き上げのために大牟田神社の境内へと運ばれていきました。
二区の山崩し巡行はここから畳みかけるようにクライマックスへ。
大蛇山が降ろされた山車には青年団長と副団長が姿を現わします。
威勢のいいお囃子で山車に掲げられた幕が下りると、今年初めての試みである団長らによる太鼓の披露が行われました。
共に走ってくれた祇園會の仲間たちを称えるような力強い音色が銀座通り一帯に響き渡ります。
山車の上では会長らが声を張り上げ、二区祇園會の熱気は最高潮に。
団長らが山車の前へ戻ってもなお鳴り止まないお囃子、歓声……。
これぞ二区祇園會の漢たちと言わんばかりの光景に胸を打たれたのか、私は目頭が熱くなるのを感じていました。
お囃子の速度がどんどんと上がり、団長の雄叫びを合図についにその音が止まると観衆から惜しみない拍手が贈られます。
その後会長、そして団長から挨拶と祝い唄が返され、二区祇園祭が今年も無事に奉納されました。
観衆に見送られながら二区の漢たちが山車を神社の前へと運び行く姿からは、達成感や誇らしさが伝わってきます。
山車の片付けが終わると大牟田神社の境内ではお焚き上げの神事が執り行われ、大蛇山が炎に包まれていきました。
こうして炎と共に送られた大蛇山の魂は、一年の時を経てまたここ大牟田神社へと新たな姿で舞い降りるのでしょう。
炎は夜通し神社に灯されていました。
最後の神事『目玉送り』
大牟田神社第二区祇園、三区八劍神社共に本祭翌日は目玉送りの儀が執り行われます。
その手法もやはりそれぞれに違うのですが、小大蛇を引き連れお囃子を鳴らしながら奉納先を回っていくのはどちらも同じです。
そしてきっと、奉納先の方々に幸福がもたらされることを願う心も両社に通じるもの。
私はその心が生み出しているであろう温かな空気を感じながら、それぞれの目玉送りを見届けました。
全ての奉納が終わった三区八劍神社に子どもから大人までが集まって行われたのは太鼓の叩き納めです。
動作がおぼつかない小さな子どもたちも、お兄さんお姉さんに混じってまつりの終わりを楽しんでいて……。
境内の端でその光景を静かに見守っていたら、向こう側にこの子たちが大蛇山を担っていく未来が見えたような気がしました。
最後には力いっぱい太鼓を叩いて夏の終わりを惜しむ、囃子長の別城さんと副囃子長の姿が。
子どもたちを支えることに徹した彼らはこの夏をどう振り返ったのでしょうか。
楽しい時間ばかりではなかったかもしれません。
沢山の苦難を子どもたちと乗り越えてきたであろう彼ら。
きっと私が想像する以上に実り多き濃厚な夏となったはずです。
そしてその実りは大切に大切に、次の夏へと繋がれていくことでしょう。
私は彼らが鳴らす息の揃った音色に耳を傾けながら、早くも来年の大蛇山まつりへと想いを馳せたのでした。
取材後記
祇園六山をはじめ、各地域の商店街や公民館由来の大蛇山などが数多く存在する大牟田。
それぞれの地で様々な想いを胸に抱いた漢たちは、各々のやり方で幕を閉じたことでしょう。
今年私は多種多様な六つの山にお邪魔させて頂き、そこにある想いに触れました。
形、手法、そして在り方さえも違うそれぞれの大蛇山ですが、誇りを持ってその伝統を受け継いでいく姿には差異はありません。
二区と三区の競演で見た“互いを認め敬い合う姿勢”もまた、どの山にも存在しているのではないでしょうか。
実はこれまでの私はどこへ行っても耳にする「うちの山が一番」という言葉があまり好きではありませんでした。
誰もが一生懸命であることに違いないのに、一番とか二番とか、そんなこと言う必要があるんだろうかと思えてしまって。
でもこの夏の取材を通して、気付いたんです。
その言葉は互いを比べて発せられるものではなく、祭りに欠かせない“漢たちの誇り”を表しているのだと。
その誇りがあるから他の山を認めることもできるし、敬うこともできる。
さらに言えば、あの勇壮な姿は彼らの誇りなくして有り得ないものなのでしょう。
レポートを書き上げた今、あの盛大な大蛇山まつりが成立するのは、このまちの至る所に“誇りを持つ漢たち”が溢れているから……そんな事を強く感じています。
取材にご協力頂いた皆さん、数え切れないほどの大切なことを教えて頂きありがとうございました。
改めまして御礼申し上げますと同時に、皆々様の更なるご健勝とご多幸を祈念致しまして、令和元年度の大蛇山レポートを完了させて頂きます。
次回特集予告
さて、大蛇山がまちから姿を消し、お囃子の音色が聞こえなくなり、日常が戻ったように見える大牟田ですが、実はまだまだ夏を盛り上げるため奔走している人たちがいます。
おおむた『大蛇山』まつりのフィナーレを飾る花火大会に携わる人たちです。
次回、令和元年度おおむた『大蛇山』まつり特集では、花火大会を支える縁の下の力持ちをご紹介します。
まだまだ大牟田の夏は終わりませんよ!
どうぞお楽しみに!
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