おおむた大蛇山まつり、おおむた海上花火大会、大牟田二十日えびす、大牟田で開催されるイベントでいつも元気に走り回っている永川さんを見かけます。
「いつもパワフルだな〜」
というのが、ぼくの永川さんに対する印象です。
いつも元気な永川さんに元気の秘訣、大牟田への想いを取材してきました。
人物紹介:永川俊彦さん
株式会社もんどF.Dカンパニー
高校卒業後は飲食業へ進み、東京・熊本・福岡の飲食店で勤務。
2007年に大牟田で「居酒問屋 もんど商店」をオープンし、現在は大牟田の街を良くするために活動中。
目次
商店街への思い入れ
-永川さんはもともと大牟田出身でいらっしゃるんですか?
永川さん:
大牟田出身です。
祖父と父が商店街で宝石店をしていたので、小さな頃は新栄町や新銀座が遊び場でした。
当時の商店街は栄えていて、子どもながらに誇らしかったことを覚えています。
祖父から「ダイヤモンドは最も高貴で最も硬い鉱石だから、磨く機材にもダイヤモンドを用いる」と教わりました。
この考えが今の自分の礎となっています。
家業は廃業し、継ぐことはできませんでしたが、祖父や父が商店街で56年間やってきた思いは受け継いでいきたいと思いました。
なのでお店の名前は「ダイヤモンド」から「モンド」を取り、「もんど商店」と名付けています。
”人”を残していく
-大牟田のことは好きですか?
永川さん:
昔から大牟田が好きです。
小さな頃から商店街で育って、宝石店の息子、永川さんの息子と言われるのが誇らしかったですね。
-大牟田で育ったことが永川さんの誇りだったんですね。
永川さん:
そうですね。
それからお店をオープンした時に、”親父に世話になった”、”永川の息子だから来た”と言ってくださる方が多かったんです。
このことから、”人を残す”ことを大事にしようと思いました。
いま子育てをしているんですが、自分が死んだ時に「子供のことを叱ってくれる人」、「永川にお世話になったからと面倒見てくれる人」をいかに残せるかを思うようになりました。
今日がベストでありたい
-永川さんはいつもハツラツとされていますが、元気の源はなんですか?
永川さん:
元気の源は、自分の人生の中で「”今日がベスト”でありたい」と思っていることですね。
人間いつ死ぬかわかりません。
死というものを改めて考えた時、
”今ある日常は当たり前じゃない”
”なんのために仕事をするのか”
ということを考えるようになりました。
大牟田を元気にしたい、新栄町を元気にしたい
永川さん:
お店をオープンし、上り調子できていた経営が行き詰まっていきました。
そこで初心に戻り、”そもそも何でお店を始めたのか”を改めて考えた時、「大牟田を元気にしたい、新栄町を元気にしたい」という想いからだと再確認することができました。
「大牟田」と「料理」この二つを軸に街に貢献していきたいと思った時、飲食店側からお客様に歩みよっていくことが大切だと思い、デリバリー事業を始めました。
デリバリー事業は、提供する側も求められていくので、より仲間を増やしていきたいと思っています。
少しずつですが、自分がやりたいことを実現して行っています。
共感を生んでいく
-今後取り組んでいきたいことはなんですか?
永川さん:
今までより、街に貢献していきたいです。
花火大会や大蛇山に参加させていただいているのも経験ですし、勉強になります。
これからの街をよりよくしていくためには、バトンを次に繋いでいくことが必要だと感じています。
そのために”共感を生んでいく”。
共感してもらうためには、”交わした言葉と過ごした時間”が大切になってきます。
イベントをやったとしても、正直そんなに変わらないです。
でも、イベントをやっていくことで人と人が繋がっていく。
人それぞれやり方は違うけど、目的は同時で「大牟田をよくしていきたい」という想い。
学生ボランティアやダンスステージでダンサーとして登壇した、そんな経験をした子達が頑張ってる大人たちがいたなと感じくれたら嬉しいですね。
もっともっと、街が好きな人たちで溢れていって欲しいです。
取材を終えて
永川さんのお話はとても説得力があり、新たな気づきをたくさん教えてもらいました。
永川さんの言葉の一つ一つは、実体験から話されているからこそ説得力があるのだなと思います。
大牟田に対するまっすぐな愛情、自分の人生に対する向き合い方。
そういった姿勢や考え方が、とてもカッコよく見えました。
自分はこの取材をきっかけに「なんのために仕事をするのか」を考えることができました。
この記事を通して自分と同じように、あなたが「なんのために仕事をするのか」を考えるきっかけになると嬉しいです。
株式会社もんどF.Dカンパニー